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小さなオーストラリア
小さなオーストラリア

VOL1 オーストラリア移住計画 ゆかさんのストーリー
Personal Data
出身地 大阪府
海外在住歴 ゴールドコースト4年、メルボルン2半年、パース2年、アメリカ1年
趣味 食器集め、料理、ビデオ鑑賞
過去の旅行歴 アメリカ(20州ほど)、カナダ、ジャマイカ、グレートケイマン島、香港など
現在の職業 旅行代理店業


Part1 アメリカとオーストラリア

交換留学でアメリカへ

小さな頃から海外に出たいという夢がありました。そのせいか英会話を中学生の頃より習うようになり、あるとき母の進めもあり交換留学テストの受けてみることにしました。受かるとは思ってなかったのですが、筆記、面接とともにパスしてしまい、それからあれやこれやと手続きが進み、高校3年の時1年間アトランタに留学することになりました。初めてのアメリカンライフは夢に見ていた現実とは異なり、特に困ったのはやはり言葉の壁でした。授業は自分で決めていいとのことで言葉が必要なさそうな、美術、数学、ソーシャルワーク(図書館の管理番)、ESL、などを専攻しました。

数学などの授業はある程度数式さえあれば解けるので余裕だったのですが( しかもテストの回答は4択の中から答えるだけ出し、電卓も使用可能なのです)、必須のアメリカンヒストリーには苦い思い出があります。何しろ英語がわからないうえ、電話帳のような太い教科書を今日は50ページ読んでくるように何てことも多々あり、辞書を片手にしながら読み終えるだけで1日が終わる毎日でした。また授業中セキュリティーが廊下に立ち、教室も厳重にカギが外からかけられ、コーチ(先生のこと)の手元にはセキュリティーと連絡が取れるようトランシーバーが置かれているのにはびっくりしました。授業中トイレに行くものなら正式に外出許可書をコーチに発行してもらう必要があり、トイレの前にも監視員が立っているという厳重体制の中勉強していたのです。決して危ない環境ではなかったのですが、一度学生の暴動が起こった際、学校中の扉がいっせいにCLOSEされ換金状態になったことがありました。

しかし友達も沢山でき、楽しい思いでも山のように残っています。特にホストファミリーには度々旅行に連れて行ってもらい、滞在中中にアメリカを 20州以上巡ることができました。特にフロリダは別荘があったので何度も訪れた思い出の地ですが、帰国前にハリケーンのおかげで別荘が破壊され、10時間の道のりを何十往復し建て直しを手伝いに行きました。留学生なのに出席日数が旅行のし過ぎで足りないなんてこともありましたが、無事卒業し卒業証書も手に入れることができました。 その後帰国し日本の高校も単位を振り替えてもらい無事卒業しました。アメリカの生活は私にとって海外移住の1歩目だったのです。

こちらでこぼれ話ですが、アメリカから帰国した時アメリカナイズしていた私を、母親は空港で見つけることができないという笑い話があります。狸のようなメイクに赤い髪、しかも7KGも太って帰国したので別人のようになってしまっていたのです。父親はかろうじて私だと気づき手を振ってくれたのですが、横で手を振る父を止める母の姿は今でも忘れることができません。


Part2 その後オーストラリアへ

アメリカからオーストラリアへ

1年の留学を終え帰国したのですが、日本になじめずまた海外へ出ようと考えていました。実は通っていたアメリカの高校からスクーラーシップのオファーを受けていたのでアトランタ大学に無料で進むこともできたのですが、違う国にも行って見たいという冒険心からオーストラリアを選ぶことにしました。オーストラリアのパースに父の知り合いが居るということから、何の知識も無いままパースへ降り立ちました。父の知り合いはパースで無料で配られている日本語新聞(JA NEWS)の会社を経営しておられるのですが、色々案内していただいたりと、本当におせわになりました。パースの第一印象ですが、飛行機から降り立つ直前に空から見たオレンジ色の屋根(瓦)と緑の木々が頭に焼き付いて残っています。パースではTAFEと呼ばれる専門学校に通い旅行関係の勉強をしました。パースの生活はまさに天国でした。きれいなインド洋にあふれんばかりの自然、ゆったりと流れる時間は私の理想の生活でした。結局パースにはコース終了まで2年間住むことになりました。その後住み心地の良かったパースを離れメルボルンで進学することに決めました。

パースからの移動はINDIAN PACIFICと呼ばれる列車を利用し、ナラボー平原の縦断の体験しました。メルボルンはパースに比べると本当に都会で同じ国なのにまったく違った環境を体験することができました。メルボルンでの生活は大学での勉学が中心のもので、週末も常に図書館にこもり、閉館になるまで資料探しやレポートを作成していました。あの頃は人生の中で一番勉強した時期でした。つらいこともありましたが、必要な単位も取れ無事卒業することができました。卒業式には母も来豪し、その後記念に卒業旅行と言うことでビクトリア州とタスマニア州を巡る1週間の旅行に出ました。ちなみに卒業式は有名なころにあるフットボールスタジアムを貸切り、卒業生5000人を送り出すという盛大な式でした。式の時間が5時間もあり、終了がなんと深夜の12時!!正直長い長い式でした。その後ゴールドコーストに移り住むことになり、ゴールドコーストでの生活も今年で5年目を迎えようとしています。

オーストラリアの永住権

私が大学に行った目的のひとつはオーストラリア移住計画が影響しています。永住したいなと本気で考え始めたのはパースの生活が1年ほど経った頃からなのですが、何とかここに残れる方法は無いか手当たり調べたところ、独立移住ビザがあることがわかりました。早速父の知り合いがシドニーでビザのコンサルティング会社を経営していたのでテストをしてもらい、自分が申請ポイントに達しているか判断してもらうことになりました。その結果大学卒業後6ヶ月以内に申請すれば可能性があるという回答をもらい、6ヶ月と時をかけ卒業と同時に申請できるようくまなく資料を集めました。通常は3ヶ月かかるといわれていた第一次審査も1ヶ月弱でパスしたとの連絡を受け、結局申請から半年後には永住権を発行するのでビザを取りに来るようにとの連絡を受けました。こうして2年前念願の永住権を手に入れることができました。

現在の私

学生時代から旅行関係のアルバイトは多々経験してきたのですが、現在も私の専攻科目であったTOURISM(旅行業)の職業に携わっています。旅行は私自身も大好きですし、いろんな人にいろんなオーストラリアを体験していただきたいと思います。またそんなお手伝いができるようこれからも旅行に関係する仕事ができればと思っています。


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